お問い合わせ
村山祥栄 後援会事務所へのお問い合わせはお電話、またはメールにて承っております。 お気軽にお問い合わせ下さい。
村山祥栄 後援会事務所
所 在 地 | 〒606-0813 |
京都市左京区下鴨貴船町46グランディール堤2F | |
電 話 番 号 | 075-712-9962 |
F A X | 075-712-9963 |
大きな地図で見る
メールでのお問い合わせ
メールの返信は数日かかる場合があります。お手数ですが、お急ぎの際にはお電話にてお問い合わせ下さい。
« 2013年05月 | メイン | 2013年10月 »
村山祥栄 後援会事務所へのお問い合わせはお電話、またはメールにて承っております。 お気軽にお問い合わせ下さい。
所 在 地 | 〒606-0813 |
京都市左京区下鴨貴船町46グランディール堤2F | |
電 話 番 号 | 075-712-9962 |
F A X | 075-712-9963 |
メールの返信は数日かかる場合があります。お手数ですが、お急ぎの際にはお電話にてお問い合わせ下さい。
生年月日: 昭和53年2月7日
干支・星座: 午年・水瓶座
尊敬する人: 高杉晋作・両親
座右の銘: おもしろき こともなき世を おもしろく
好きな作家: 東野圭吾
好きな食物: ラーメン・グラタン・ポテトサラダ・ホルモン
趣味: 大峯山登拝・バス釣り
好きな芸能人: 高田純次
好きな音楽: 北島三郎・RCサクセション・MINMI
バプテスト病院に生まれる。左京区下鴨蓼倉町在住。
下鴨神社境内に秘密基地を設置し、鴨川でスイミングに勤しみ、葵サッカーでサッカーするなど実にやんちゃな少年時代。
中学時代、現状の政治に「このままでいいのか?」と疑問を抱く。政治を通じ人を幸せにしたい、そんな人生を送りたいと漠然とした意識が芽生える。
時は、細川政権。本気で日本が変わると思うも、自社連立へ、夢は失望に変わる。それでも国家を思う熱忘れられず、政治を学ぶなら東京と、単純な理屈から東京へ進学。
専修大学法学部入学。
衆議院議員 松沢成文 秘書。
生の政治を学ぶべく、当時新進党の若手議員 松沢成文代議士のもとに(なかば強引に?)押しかけ、秘書に。
時同じくして、若手が政治を変えるんだという思いから、全国の若手政治家のもとへ選挙スタッフとして本当に全国を行脚してました。
専修大学法学部卒業、株式会社リクルート入社。
心機一転、ビジネスマンとして出発。週刊住宅情報の営業マンとして、不動産会社を担当。情熱、行動、発想、を武器に無我夢中。
平成14年10月、「このままではいけない」という思いから、楽しかったサラリーマン生活に決別。
京都市議選にて、左京区から 5004 票を頂戴し、京都市政史上最年少で初当選。交通水道委員、公営企業特別委員会を中心に財政総務委員、建設消防委員等を務める。京都市不祥事問題の火付け役になるなどタブーなき改革に挑戦する傍ら教育問題、人事等公務員改革など幅広いテーマで行政改革を提言。京都市議会唯一の無所属議員として無所属ならではの活動を展開。
京都市議選、8,851票を頂戴しトップで再選。交通水道委員。
大きな波紋を呼ぶ「同和事業完全終結に向けた要望書」を市長へ提出。
その後、講談社より出版され、京都市の同和行政終結に向けた大きな一里塚となる。
京都市長選挙立候補。84750票を頂戴するも惜敗。
3年間の浪人生活が始まる。多くの人が去り、真の友人、支持者に支えられた3年間。苦しくも本当に人のご温情に触れ、自己研鑚に費やした貴重な時期でした。
村山の下に残ってくれた学生たちと共に、教育現場の研究と人材育成を図るべく私塾高志塾を開設。
京都産業大学法学部にて「政策立案実務研究」を担当。
大学生が作った条例案や政策を山田京都府知事をはじめ首長に直接プレゼンテーションを行うといった前代未聞のゼミを主宰。
地域主権時代に必要な地域政党構想に奔走、地域政党京都党を発足。
京都市議選、京都市政史上過去最多得票12,529票にて三期目当選。
地域政党京都党市会議員団を四名の議員で結成。経済総務委員。
議会では条例提案、政策提言、議会外では、「京都党村山祥栄政治塾」を主宰する傍ら、知的障害者施設の理事を務めるなど幅広い活動を展開。
7130票で4期目当選(3期連続トップ当選)
都市計画審議委員、まちづくり委員。
また、全国地域政党連絡協議会副会長も務める。
大正大学地域構想研究所客員教授 就任
お金のかからない政治を旗印に活動を続けておりますが、最低限の費用は発生します。これまでも、皆様方の浄財と自身の給与で活動しておりますが、政治活動資金が著しく枯渇しております。恐縮ではございますが、クリーンな政治活動の推進に何卒ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
(企業様よりの御厚志はお断りしておりますので予めご了承下さい。)
振込先名義: ムラヤマショウエイ 政策フォーラム
00970-2-181324
振込先名義: 村山祥栄政策フォーラム
京都銀行下鴨支店 普通3222754
政治に関心がある、興味がある、そんな方を対象にインターンシップ生を募集しております。
村山自身が掲げる現状現場主義の実践を行い、より多くのことを学んで頂ければと企画しております。
社会人になると、とんと政治とは縁遠くなりがちです。学生時代に出来る事として、社会のマナーをはじめ、プレゼン力に至るまで、余すことなく、お伝えできる場になればと思っています。政治の見方が変わる第一歩になればと思います。
ご不明な点あれば、お気軽にご連絡下さい。
政治家ははいつも「私は有権者の生の声を聞いて…」と言う。しかし、現実は、有権者の60% 以上の方が政治家との接点を持ったことが無い方ばかりです。いったい生の声とは…?
村山はとにかく皆様の本当の生の声を徹底的に頂戴したい、それが何より政治家として重要なことであり、それが民主主義の基本だと考えています。どんどんご意見を下さい。また、何らかの会合、 近所の皆さんの茶話会何でも結構です。3人寄れば伺います。ご遠慮なく呼んで下さい。
また、小さな異業種勉強会なども含め月2本程度のペースでお伺いしております。時間の許す限り御受けさせて頂きますので、講演のご依頼のございます方はお気軽にお問い合わせ下さい。
本当の政治改革は、市民一人一人の手によってなされるものであるということです。即ち、政治家と市民の共同作業でしか成り立たないということだと思っています。
住民自治という地方自治の原点ともいえる政治モデルに今、回帰せよとの使命を抱え、今日まで私は闘ってきました。そしてこれからも、皆様と共に歩みたいと願い続けています。何卒、京都の明日の為にお力をお貸し下さい!
機関紙「京都再生」の発行を初め村山祥栄の政治活動にご理解賜りご支援頂ける会員を募集しております。1人でも多くの皆様にご入会頂きますよう宜しくお願いいたします。
お名前・ご住所・電話番号・所属(後援会等あれば)・口数をご記入の上、メールにて御申し込みください。メール送信後、下記振込先よりご入金頂ければ幸甚です。ご要望あれば、直接集金に伺います。
「politix」の運営メンバーは実際の政治の現場でしごとをしている政治家です。政治という世界の厳しさを肌身で感じ、命懸けでこのしごとをしているからこそ、生半な気持ちでこのしごとを考えてほしくないと思っています。
私たちの目的は、単に「政治家」を作り出すことではなく、「共に政治を変える為に闘う、同志としての真の政治家」を生み出すことです。そして「自主自立の精神を養い、自分でみちをきりひらく人材」を、アシスト、サポートしたいと思っています。だからこそ、この“politix”での研修は妥協のない真剣なものになります。
当塾は実際に地方選挙の立候補を目標としている方を対象とさせていただきます。また、開講は年に2回(6月~8月・12月~2月)を予定しています。
2006年09月10日、栗山雅史 西宮市議会議員とスペシャル企画として村山祥栄との対談が行われました。栗山議員のご好意により本サイト内へ転載させて頂きます。
今日設立される予定の後援会は、何個目の設立なのですか?
今回で4個目の後援会になります。
来年の統一地方選挙では、ここ京都市左京区は何人中何人当選の選挙になるのですか?
左京区は定数変わらずの9を14~15人の中で争うことになります。
来年の統一地方選挙は3年前の初めての選挙に比べて、今回のような後援会を設立できているので、さらに勝利する可能性は高まりますね。どうお感じですか?
かなりしんどいと思います。やっぱり無所属だし、前回のような目新しさはないですしね。若いのも私だけじゃないですし。
その若い人たちはなぜ左京区で出ようと思ったのでしょうか?無所属の村山議員がいながら左京区に飛び込んできた理由は何だと思いますか。
よく分かりませんが、前回の選挙では各区で多くの無所属が出ましたけど、自分しか通らなかった。そういう状況からか、「左京区が通りやすい」と判断したのかも知れませんね。
そういう状況であれば、各政党で必ず当選させてくると思いますが、左京区はどんな状況ですか?
現職で自民党は2人、共産党は3人、民主党は2人、公明党は1人、無所属の私で合計9人なんです。
そこに割って入ることが可能だとすると、どの政党が一番危ういのでしょうか?
一番無所属の自分が危ないのではないかと思いますね。
その危機感は強いですか?
大変強いです。
市会議員の仕事として苦労したこと、楽しかったこと、色々とあると思いますが、仕事の中には「議員を続けていく」という意味の違った苦労がつきものだと思います。村山議員の場合、どのくらい地元を意識した活動が普段の活動の中に入っているのですか?
半分くらいですね。
そうすると半分の力で政治に力を傾けるということになるのですか?
やっぱりそれは両輪でもあるので、地元から意見を吸い上げる地元活動は政治につながりますし、足で稼ぐ地元の意見は大変議会活動に役立ちます。そして一方で純粋に自分のやりたい議会活動をやることも重要だと考えています。
村山議員の純粋な政治活動の部分で言うと、どのような種類のものがありますか?
僕はどっちかというと、ご存事のように人事改革、財務改革が基本になっているし、注力したいです。だから行革というテーマが多いですね。
行革をやるとしても、69人の市会議員の中で、無所属1人で行革をやることは困難だと思いますが、どの程度受け入れられているのでしょうか?市役所の中での動き方などはどんな感じなのですか?
当初は無所属で大丈夫か?などと心配されましたが、今は逆に「何があかんのですか」というぐらいになりましたよ(笑)。
今日も後援会設立パーティーでちょっとお話をしますが、無所属にしか出来ない仕事とか、今まで政党にいてはできなかったこと、考えられなかったことが無所属にはできるんです。京都は今、人事を正さなければならない。ちゃんと仕事をやった職員が報われないといけないです。成果主義を導入する前に、それは原則論として必要です。しかし、京都はその原則さえもない。出社はしてくるけれど、1日中新聞を読んでいる人もいるし、来てもすぐ帰る人もいれば、病欠をフルに使うなど。なおかつ高給を必死になってもらいながら、役所に全然来ない人が平等に扱われている部署もあります。
その辺は、京都市の場合、同和問題と密接に関わってきているから、そんな話はだれも口に出来ない。しがらみのある人がそんな事をいうと「何やっているんや」と問題になりますが、僕だと普通に言えちゃうし、その前に同和問題ってなんですかという風に私は思っています。その問題については、僕はどんどんやったらいいと思っているし、僕が取り上げたことを議会が一緒になって決議してくれている。また、無所属は発言できなかったのですが、今年から話せるようになりました。
それは議場でのことですか?
議場での発言です。以前、無所属議員の発言は常任委員会のみで認められていました。
それは村山議員という存在が、議会、或いは市役所を動かしたのですね?
今までそんなこと言う人がいなかったということもありますが、私が無所属でやっていることを周囲が一定の理解を示した、ということではないでしょうか。
それについては根回しも必要だったのでしょうか?
なかったとは言いません(笑)。
1人でいることは逆に言うたら面倒だ、辛いから会派に入ってしまいたいという気持ちにはなりませんでしたか?
全然ありませんでしたね。僕はもともと「地方政治は政党でやるべきではない」と考えていますからね。それを曲げてでも政党に入るというなら、議員をやるべきではないと思っていますから。
今日も多くの学生さん(村山祥栄事務所学生部)がいらっしゃるんですが、村山議員は学生時代どんな活動をされていたのですか?確か出身は東京の専修大学でしたよね?
学校にいかずに、選挙、選挙、選挙でした。
松沢知事(神奈川県)の所でですか?
松沢さんの所は1年くらいしか行ってなくて、残りの3年はいろんな議員についたりしていました。自由党が出来た時の立ち上げも、東京の本部で一緒に関わらせてもらったりしました。
そのころは何歳でしたか?
20歳くらいだったと思います。自由党の学生部は、僕と僕の友達2~3人で立ち上げたんです。
党の立ち上げという大変貴重な機会に関われたんですね。党の立ち上げの後はどういう活動をされていましたか?
僕は色々な議員さんにずっとついていたんですが、議員さんは何か理想と現実のギャップにぶつかって、結局現実ありきの所で政治をやっていて、理想を追い続けられていないことに、すごく嫌気がさしていた。その頃出会ったのが20代で当選した若手議員、このような方々が当時全国で120人くらいいらっしゃいました。平成7年の統一地方選挙で当選した方々ですね。この人達は黙々と、一心不乱に自分の思いを貫いてやっておられて、この人達が10年先、日本を変えてくれるのではないかと思って、そのうちそっちの方にシフトして活動していましたね。
それらの活動ですが、誰に頼まれたりするのですか?
誰とかはハッキリと覚えていませんが、「明日村山君、山口行ってきて」って、人間関係がどんどん広がると「俺の友達出るから頼むわ」みたいに言われるんです。「岩手いって来い」、「明日から住み込み」とか、そんなんばっかりでした。
そんなに選挙がおもしろかったのですか?
おもしろかったと言うより、政治家になるには選挙しかないので…。郵政民営化の時はまさにそうでしたけれど、学生時代にも選挙に負けるからという理由で自分の信念を曲げていった政治家をたくさんみてきました。政治家やるにしても、やっぱり根っこにあるのは選挙なんだと感じたし、だからこそ選挙というものを大事にせなあかんと感じて、参加し続けました。
酷な質問ですが、村山議員は信念を曲げてでも選挙に勝つ方を選ぶか、負けてもいいから信念を貫くほうか、どちらのタイプと言えますか?
なんとも言えないですね。負けても信念を通す政治家だと思っていますが、ただ極力そんなことは避けたいので、信念を通して勝てる政治家になることが一番大事なことだと思います。
それはある意味無所属のスタイルが、まさにそれを具現化しているように思うのですが?
そんないいもんじゃない。でも選挙はしんどいが、そこで負けてしまわないように頑張りたいです。
クラブやサークルとかはしていましたか?
何もしていないですね。
何も興味はなかったのですか?
ありましたけど、政治の方が楽しかった。1ヶ月間、稚内から鹿児島まで、党の全国遊説を党の車でやったり、補欠選挙の時とかは学生部がまるまる遊説を担当するとかもしました。選挙は経費や人件費が当然発生するので、これで賄えと指示されて目の前で300万円預かったり。これが湯水のように消えてしまう。そんな管理をさせてもらったり、それはそれでおもしろかったですね。
まさに政治家になるための経験ですよね。僕なんか全然畑違いなところから政治家やっているんだけれどもね。
僕は政治家になろうと思ったのが早かったんです。
何歳ですか?
15歳の時です。当時、今の政治家は命をかけてないということに怒りを覚えて、それやったらこいつらより俺がやったほうがマシやろうと思ったことからスタートしていました。政治家になるためには何をどうしたらそこにたどり着けるかということだけを考えていたんです。逆に言えばそれ以外何も知らないんです。
中学生の14~15歳ぐらいの時というと、大きな政局の変化がありましたか?
当時は佐川急便事件があって、日本新党、新生党という2つの新たな党ができて、全国的に改革に沸いていた時代ですよね。
その時に、国会議員たちが自分の襟を正している姿を見ることができたんですね。そんな改革の波を感じたときに、その一員に加わりたいと思ったのですか?
分からない。しかし、僕は歴史が好きで、過去の歴史を紐解くと、命がけで民を守り、国民のために体を張って仕事をしてきた政治家がいることを知ったんですが、今の政治家の中にはそんな人が全然いない。そんな時、僕が夢を見させてもらったのが小沢一郎さんやったんです。自民党の幹事長になられて、おそらく総理大臣になれるのを蹴って外に出て行った姿は、すごく感銘を受けました。
若者の政治参加についてお聞きします。まさに村山議員は、若い時から政治に参加されていて、若者の中では非常にレアな人材だと、自分でも認識してらっしゃると思うのですが、政治に参加しているとは思えない人が割合として多い中で、今後若者には積極的に政治参加して欲しいと思いますか?
そりゃ政治参加して欲しいですね。
どうしてですか?
理由はありませんね。当然のことですから。
我々は若者に政治参加を促す運動をいろいろやってきましたが、若者の政治参加率、つまり若年層の投票率の低さの理由についてはどう思いますか?昔と比べて時代の変化とかをどう感じますか?
1つは政治に参加することに若者が価値を見出していないのでしょう。社会が安定しているし、別に政治に参加しなくても明日の飯がないということはない。反面、当然ではありますが、発展途上国というのはすごい投票率が高いですよね。年齢を問わず、みんなが政治参加意識に燃えている。自分たちで変えるという意識をもっている。日本はそんな意識もないですし、誰がやっても一緒と思いこんでいる。それは仕方ないのかも知れません。
確かに、文化・商業の発達度合いが高い国ほど、政治への参加意識は下がっていく傾向が多いわけですけど、日本のように意識が下がっていくなかで、村山事務所では学生部というものがあったり、あるいは私も受入れている議員インターンシップというものがあったり、少しではあるが政治参加している若者が増えてきたのかなという実感はありますね。
私もあります。
それはすごく嬉しいことですけど、まだやはり物足りないと思いますか?
全然物足りない。ほんまに民主主義の看板を掲げるなら、民が主なのだから参加してしかるべきですし、何で政治に参加しないといけないのとかではなく、そういう制度を布いている以上、当たり前のことです。
政治の原点、つまり始まりとは、「人が安心して暮らしていく、生きていく」ことではないかと思います。つまり、安心して暮らせる環境・文化が成熟していない国では、まず政治をしなければ何も始まらないわけです。今の日本に、政治の原点を意識させる必要はあるのでしょうか。できるのでしょうかね。
多くの人間の政治参加は必要なことと当然思うわけですが、日本国民を政治参加させるには、文化を後退させなければならないのではないか、と極端ですがたまに思うんです。後退させることによって、自分達の生活に不快な変化が現れてこないと政治に関心を持たないと思うのです。
民主主義は長期化すると、衆愚政治に陥る。今は衆愚政治の真骨頂みたいな時期かも知れない。政治に対して参加する必要よりも不信感のほうが強く、参加して何になるのかと思っている国民が多い。不信感については、国民みんなが同時に改める必要があるし、後は政治家の姿勢の問題ですね。
議員としての仕事をちゃんとやっている人には、周囲は「ちゃんとやってる」、「俺らの意見を代弁している」と認めてくれる。だから我々は見られていることを意識して、すごい小さいことからでも伝えていくしかないと思っています。
地元に対する思いについてですが、私は東大阪出身で西宮市が出身地ではないのですが、自分を成長させてくれた大学が西宮市だったということで、東大阪市よりも非常に思い入れがあります。しかし、私は外から来た人間だという見られ方をしたので、最初は大変苦労しました。でも西宮市を愛する気持ちは人よりあると思うので、西宮市がやっぱり1番住みやすい街だと思ってもらえるように頑張っています。
村山議員はやはり、郷土に対する思い入れでいうと、育ってきたのはずっと京都ですよね。高校までおられた京都に対しては相当思い入れの強さがあると思いますが、今後の京都の理想の形についてはどのように思っておられますか?
思いとしては誰よりも持っている。僕が何で政治をやっているのかというと、国を愛しているからであり、京都を愛しているからで、生まれた環境や故郷に対する郷土愛です。そういう意味では京都を何とかしたい、僕自身がやらなあかんと思っている。
私は頭が良いほうではないので、難しい話を言われても正直分からない。しかし、京都市役所の中には難しいことをいっぱい考えて、それが分かる人間がいっぱいいて、いろんなアイデア、能力をもっている人がたくさんいる。やっぱり地方上級を通り抜けてきた人たちですよね。だから、彼らがやりたい仕事をフルに出来る環境を整備してやることが、京都を再生させる1番の鍵やと思ってるんです。
伸びている会社というのは人の使い方が上手い。しかし、行政というのは非常に人の使い方が下手です。どうしたら彼らが伸び伸びと仕事ができて、いいものを作り上げ、クリエイティブな仕事ができるのか。そしてそれが評価されるようにするにはどうすれば良いか。そういった環境を作るのが政治の仕事じゃないかと思います。
その上で、今やらなあかんことは、郷土愛をちゃんと根付かせることであり、社会に出て、生まれ育った京都に錦を飾りたいという思いを、京都で育った人にもってもらうことが、京都の発展に繋がるという思いを持っています。
政治家としての役割、スタンスとは一体どうするべきなんでしょうか?確かに優秀な公務員がどの自治体にもいらっしゃる。前提として村山議員は自分のことを謙遜しているんだろうが、むしろよく考えてみれば「政治家は頭が悪い」というのは実際そうかも知れないし、それは必要な資質かも知れないですね。公務員にはない、政治家として持っていなければならない資質。それは公務員ではなく政治家に必要だと思います。そしてそれが何なのか、私もよく考えます。
変な話ですが、政治家はある意味で頭が悪くてもかまわないと思うし、全てのことに対して分かっていなくてもいいと思う。1つのことしか分かっていないというのでもいいと思う。志や熱い思いさえあれば、いろんなタイプの政治家がいても構わないんですよね。 戻りますが、政治家がもってなきゃいけない最低限の資質とは、村山議員はどういう風に考えていますか?
よく分かりませんけど、僕が思っていることは、いろんなこと言われようが政治家はやっぱり命をかけて政治をやっていること、やはりそこが一番大事なのではないでしょうか。
まさにその通りですね。
それでは次に、若くして議員となった我々の政治スタンスについてお話したいと思います。
普段栗山さんがどんな活動をされているのかはすごく気になりますね。政治家によって仕事のスタイルが全然違いますからね。私と栗山さんではたぶんスタイルが全然違うだろうけど、栗山さんはどういう仕事を日々やられておられますか?
一つ言うならば、僕は西宮北口の商店街にやっとの思いで貢献することができて、そこから人脈や仕事の幅が広がっていて、現在はさまざまな取り組みができていますね。商業団体の皆さんと一緒にいろいろやっていることが非常に楽しいし、未来の西宮を作っているんだなあという実感がある。
振り返れば、政治家としての若い時というのは、市民の話があまり聞けていなくて、自分の志の方が強く、自分の思いだけが政策になるケースが多いと思うんですよね。いろんな人の意見を聞いて、政策を作っていくことが当たり前なのですが、実はそうはできていないこともある。今なんかは、地元の方といろいろ話す機会が多いのですが、その人達がしゃべっていることと、自分が思っていることをうまく混ぜた上で、その結果出来上がっていく政策が、やはり本物の政策ではないかなと感じています。
そして政策が完成した後は、政治家として、議員としてどういう風に行政と連絡をとり、地域の方と連絡し、政策を実現化するかということを考え、そして行動できるかが、僕の仕事かなと思っています。政策を作るということについては、独りよがりでは無理だなと最近思うし、いろんな人の意見を聞くということが大事なんでしょうね。
すばらしいですね。でもやはり、自分の想いを入れていくその比率が難しいんでしょうね?
そうですね。バランス感覚が大事ですね。
私は政治家って何なんだろうと問われた時、自分の意見についてくる人間を引っ張っていくのが政治なのかなと思っていました。栗山さんのおっしゃるような民の暮らしぶり、意見を聞いて、それをまとめて政策に反映するのと、どちらが本当の政治なのか聞かれたらどちらだと思いますか?
どちらかというと、当然後者に近いけれど、ただ一辺倒にそうばかりしていると、「お前に考えはないのか」と言われてしまう可能性が高くなるだろうと思いますね。ただ昔のような政治家のイメージはだんだん変わりつつあると思っていて、政治家は別に偉くもなんともないと思っているし、むしろバランス感覚が優れた普通の人間でないと今後はやっていけないのではないかというのが私の持論です。他方、本来の意味での住民自治としては、昔ながらの強烈な政治思考をもってリードしていく政治家も必要だと思います。
この前、田中秀征さんの本を読んでいて、田中さん曰く、「今の政治を悪くしているのは、民がああして欲しい、こうして欲しいということを叶えていくことだ」と書いていました。これを続けていくとポピュリズム政治の典型になってしまい、そうすると本来果たすべき政治判断ができなくなっていく懸念があると。今の政治家の大部分はそうなりつつあるらしいです。
自分の意志を持っていないということは非常に大きな問題です。栗山さんは自分の意見を持っておられて、そしてそこに街の人の意見をミックスさせていく取り組みなので、そういう意味では、バランス感覚がとれた新しい活動をしているんだなと思います。
強烈な政治や思想から生まれる軋轢等々を見ていると、果たしてそれが今求められている政治か考えてしまいます。だけど一方で迷いもあって、自分も強烈であるべきなのかなと思うことがあります。これだけ政治に関心が持たれていない世の中では、強烈なキャラクターの政治家が必要なのかなと。
話しは変わりますが、市民は変革しろと言いますし、変わって欲しいと常に願うわけですが、どう変わって欲しいかという答えを有権者は実際には持っていないことが多いのです。そうなると、政治家が表向きにでも変革を訴えると同時に、市民の本当の心情、心理を理解し、上手く引っ張っていく必要が生まれてきます。政治家はそういった能力を持ち合わせて行動出来なければいけないのですね。
最近自分を殺している感じはありますか?
自分がこうだと考えたことは基本的には譲らない。しかし、自分がすべて正しいと思うことはよくないんじゃないかと思う。人の意見を聞く姿勢を持ち、ああそうだと思うなら引くことも大事です。今日もおそらく村山議員の市政報告を聞いたら、なんか絶対ええことあると思っていますよ(笑)。
栗山議員の得意分野は財政なんですかね?
それだけではないですよ。やっぱり最近は街づくりかなあと、特にそう思いますね。こないだの一般質問では「コンパクトシティー構想」というものを取り上げました。現在はいろんな機能集積がなされた街がいっぱいできているのに、人口が減っていっている。となれば発展の中に、秩序ある後退も必要だと思っています。だから、本来の街づくりで言う発展、発展とはこれからはいかない。これからの街づくりは、辛抱したり、発展を進めないことも選択の1つではないかと考えています。
特に今は商店街の荒廃がひどいですね。お客様側である住民が商店街という存在に何を、どこまで求めているのかわかりませんが、だからといってそれを潰していいかというとやっぱり駄目だと思うし、その狭間で難しい課題だと思います。
街づくりの復興ができる可能性が、そこにあるかないかを見極めるのは政治としての責務だと思います。商店街を維持することが単なるこだわりではなく、有効な税金の投入であることが本来は求められる。しかし場合によっては、たとえ効果が薄いという可能性があっても、市民の声を優先するときがある。それをやって良いかどうかを見極める力を、政治家がもっていないといけないですね。
栗山さんの地元の西宮北口は比較的レベルの高い商店街やし、是非今後も頑張っていただきたいですね。
ありがとうございます。精一杯頑張りたいと思います。今日は長い時間お付き合い下さいまして本当にありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。
2008年07月06日放送の、FM79.7 京都三条ラジオカフェの番組「学生とおかんがつくる、住育コミュニティー」に出演しました。
本日のゲストは前京都市会議員で活躍されておられました村山祥栄さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では早速なんですけど、自己紹介をお願いします。
はい。村山祥栄と申します。
ついこの前今年の2月まで京都市の市会議員を2期務めさせて頂きまして、過日の市長選挙に出馬を致しましたので、ちょっと残念ながら負けてしまったのですけれども、結果負けたので今は浪人中というような事でやっております。
今日はですね、元々わたし市会議員をやる前はリクルートという会社で住宅情報の営業マンを実はかつてしておりまして、家庭とか住まいっていうのにずっと注目をしながら、いろんなお家を見てまわるのが仕事やったりしまして、そんな事をずっとやっててその後議員になって青少年の育成であったり教育問題をずっとやっていく中で、「どういう住まいが良いんだろうか」なんて事を考えていたら、ばっとぶつかったのが宇津崎さんだったと。
こんな事もありまして今日はお招きを頂いたんだというふうに思っていますが、どうぞ宜しくお願いいたしたいと思います。
宜しくお願いします。そういった住宅の事を仕事にされてて、そういったきっかけでお知り会われたということなんですけど、先ほどちょっとお話を聞いていて、ついこの前お母ちゃんの家に行かれたそうなんですけど、どうでしたか?
いや、もうね、一言で言うと凄いなと。
僕営業マンしていたときに、いろんなお家見ていて「どういう家が暮らし易い」とか「どういう家を作ったら子供が元気にすくすく伸びていく」とか、例えばよくあるのは「アトピーが出ないようなアレルギーを抑えたようなお家」とかっていろんな種類のがあったんですけど、結局究極的なところは「家族がどう団欒して、どうして子育てして、そこで全てを完結させるか」って、これなかなか難しい課題で出来なかったんですけど、行ってびっくり。
「はぁ~出来てますやん」みたいな。
「それできちゃうんだ」みたいな。
凄い感動がありましたですね、この前行かせてもらったとき。
私はまだ行く機会が無くてまだ行かしてもらってないんですけど、前回のゲストの方にもお母ちゃんの家のことを聞かせてもらって、凄くお母ちゃんの家に暖かさを教えてもらったんですけど、その中で未だに覚えているのがお風呂なんですけど、お風呂入られましたか?お母ちゃんの家の。
お風呂には入って無いですけど、お風呂は通りました。
ははは。(笑)
そこまでちょっと団欒する間が無かったんですが。(笑)
あっそうなんですか。なんか凄くお母ちゃんのお風呂リラックスできるのを聞いていて、入られたのかな?って。
でも、あの、凄いお風呂ですね。
今わかりましたか?「お風呂に入られましたか?」って言ったんですけど、祥栄先生は「通りましたよ。」って言われたでしょ。通ったっていう、お風呂を通ったっていうのはわかりますか?
あ~~。
そうだ、そうだ。
「お風呂入られましたか?」って言われてるんだけど、入ったんじゃなくて「僕はお風呂を通りましたよ。」って今。
えっ…。通る…。えっ、お風呂を通る…。家の知ってる構造上「通る」っていうのが、あまり…。
おかしいでしょ。
はい。
普通聞いたら「日本語おかしいよね」って感じですよね、自分で言っていて。
パーソナリティ:おかしいよね、そうそうそう。「お風呂を通ってきました」って。
えっ、えっ、どういう…、えっ、その…。道にお風呂が。
おかしいでしょ。
凄く今パニックになってる。
でしょ。お風呂が廊下になってるんです。
そぉなんですか?
入口と出口があるんですよ。
えっ~~~、そうなんですか?
スルーするんですよ。
えっ~~~…、えっ、はぁい。
お母さんを楽するーにしようってので、お風呂場を。だから楽スルーっていうんで商標登録も取ったんですよ。
へぇ~~~。
キッチンに立ちながらお風呂もお掃除して、トイレ・洗面所にも行ける。廊下にしちゃったんですよ。
へぇ~~~~~~。
だからお風呂に入って蝋燭を灯してキャンドルでってお話していたから彼女は「お風呂入られましたか?」って言ったんだけど、「お風呂通りました。」って祥栄先生が言ってくれて。
常識が通用しない家なんですよ、僕にしたら。
私もなんか全然想像ができない。
本当にこれは凄いな。よくこれを思いつかはったよねっていう。発想の凄さが何よりびっくりしましたよね。
私がびっくりしたのは、男の人が暮らし方まで考えるなんて村山祥栄先生初めてなんですよ。
普通やっぱり「ユニットバスはこれどこのメーカー?」「パネルヒーターはどこのメーカー?」「トイレは TOTO ですか?inax ですか?」って、そんな見方をするんだけど、さっきから話を聞いてもう感動しました。
びっくりしたのは、なんていうかな、「家族団欒をどうしたらいいか」って、それをずっと考えて仕事してたっていうのは、やっぱり視点が違うなと。男性はその考え方って持てないんですよ。
そうです、なんかどっちかっていうと家族を考えているのは、女性ってイメージがあるんですけど。
ですよね。
なんか男の人はどちらかというと仕事のほうを中心にがんばって、仕事のほうに視線が行くってイメージがあるんですけど。
利益だけ追求して数字で一生懸命頑張るのが男性やと思ってたら、村山先生違うんですよね。そこの視点が違うってのは私は逆に感動しました。
でも結構ね、今男性も含めて親が「子供をどう育てていくねん」とかっていうのは凄い皆一生懸命考えられてて。
ちょっと話それますけど、例えば今東京で売れてるマンションって「勉強ができるマンション」って売り出してやってるんですよ。どういうマンションかというと子供部屋が無いんですよ。子供部屋あるんですけどリビングから続いていて子供はお母さんのそばで勉強させられる。だからリビングとかで勉強するようなお家造りをしているマンションが凄く売れてて。
これはアンケートも取ってデータ取りして作ったはるんですけど、結局東大に入る子供の中で、個室で自分の勉強部屋で勉強している子供の比率より遥かに、リビングとか台所とかお母さんの横で勉強している子供のほうが東大に入る確立は極めて高いとかね。
えぇ~~。
という事がデータで出てて。
出てますよね。
だから結局雑音が多少ある中でお母さんの目の行き届くとこで、家の家事をしたはる音を耳に聞きながら勉強したほうが実は勉強効率は高い。
そういうのがどんどん現実増えてきてる中で、それをかねてからずっともっと色んなものを含めて複合的に追求したはるので、結構やっぱりね、こういうのって知らないだけで親御さんなんか男性も女性もかかわらず反応は大きいと思いますよね。
そうです。
なんか勉強の話とか、あの(不明)の話なんですけど、やっぱり一人で私も大学受験のとき一人でずっと勉強してたんですけど、やっぱり煮詰まるっていうのが一人でもくもくとしてたらやっぱり煮詰まって、その時に何をするかっていうと、やっぱりマンガを見たり音楽を聴いたりなんか全然勉強とは全然関係の無い娯楽のほうに走ってて、読んでるうちに時間だけが過ぎちゃったっていうのがあって。
でもお母さんとかの近くで勉強していると、やっぱり監視って言い方はおかしいんですけどちゃんとやろうって意識もあるし、わからないところがあった場合一人で勉強していたらわざわざ訊きに行くのに「行きたなぁ(行きたくない)」と思ってしまう部分がありますけど、直ぐに訊ける状態「ここわからないんやけど」直ぐに訊ける状態っていうか、空間ってのが作られているので、結構はかどるとか。
それとね、もういっこあるのは、べらべら喋っていい?(笑)
はい。
はい。
昔って向かいのお家っていうたら小さい一軒家で、横で子供がぎゃぁぎゃぁ泣きながら、その横で子供は一生懸命勉強してたわけですよ。今は確立されて社会全体がサービス合戦になっていて、なんでも提供してあげるから非常にいい環境をどんどん追求できるわけですよ。
昔なんかマッサージ無かったけど、今はどこ行ってもマッサージでリラクゼーションできて、しかもそれも音が良くて気持ち良くてとかっていうのがどんどん進んで行く中で、五月蝿いところで勉強しているのと静かなとこで勉強しているのとなら、そら静かなとこで勉強したほうがし易いんですよ絶対に。
あ~~、そうですよね。話は途中なんですけどここでミュージックブレイク。音楽をお聴きください。
先ほどは住宅のことについて中心にお話をさせてもらったんですけど、お話を戻させて頂きまして、村山さんが住宅の仕事をしておられて、どういったきっかけで議員さんを目指そうとか、議員さんになられたんですか?
僕は住宅の仕事をする前から議員になろうと思ってまして、元々議員になろうと思ったのは15歳ぐらいのときに「今の政治家たちが自分の身の保身に走って、なんで先人達は一生懸命国の為に働いてきてくれたのに今の政治家は働かないんだ」と。
「こんな政治をやっていたらこの国は滅びるぞ」と。
「俺がやったほうがええんちゃうか」と。
という非常に単純な発想で僕は政治を目指して、ずっと18才からこの世界に身を投じてやってたんですね。
だから自分の中では政治の世界にそのころからやろうと。そのために逆にいうと「もっと色んな見分を広めなあかんね」ということで、実は会社に入ったという。
あ~…。え~…、15歳ですか…。私が15歳の頃普通に遊んで、何も考えずに遊んでました。
僕も普通に遊んでましたよ。勉強もあんまりせずに。(笑)
だけど凄いよね。15歳のときに政治家になろうって。
はい。
なんか、あの、その、恥ずかしい話今でも私はちょっと、今現在21歳で選挙権があるにもかかわらず、あまり政治を詳しくないっていうのがあって、政治に関しても関心を持たないといけないなと思うのですが…。
どうしたらいいか?
S:関心は持って頂きたいですけど、まあどうしたらってね結局考えていくんですけど、やっぱり密接に絡んでこないと無理なんですよねなかなか、だから結局投票率がぐっと上がりだす瞬間って30歳後半ぐらいからなんですよ。
それってどういうタイミングっていうと子育てをし始めて、子供を学校に入れて、例えば「学校の教育がどうなってんにゃ」とか、「なんで京都市の子育て支援の体制は良く無いんだ」とか、そのへんからね「私らって政治に参加せなあかんわ」という意識が急激に芽生えてくるわけで、だから大学生とかって別に政治に対して触れへんでも触れても、大して直接的なものってあんまり無いんですよね。
「消費税払いたく無いな。」ぐらいのもんで、もっと具体的なものが無いとなかなか参加出来ない。だから僕らは「参加してください。」ってことをずっと呼びかけはしてますけど、なかなか難しいのは事実ですよね。
はい。やはり身近なものでは無いっていうのが凄い感じていて、なんか本当に遠いもの、私の一つ言ったこと、言ったことっていうか私の1票とかで何が変わるんだろみたいないうのも、内心のところは正直なところはあって、実際何をやっておられるかっていうのもあまり入って来ないっていうのもあって、あんまり目を向けていない部分はあります。
入って来ないというよりも、今ってもう情報が氾濫している時代なので自分で情報を取りに行かない限り情報って入って来ないです。
ほっといたって寝てたら入って来るような情報じゃ無いので、結局関心を持たないとその情報を取りに行かないので結局入って来ない、の繰り返しになっちゃうんですけどね。難しいですね、これは。
そうですね、やっぱり気持ってか関心をちょっとずつ持っていかないといけないということですよね。
村山さんは議員をやっておられて、おっきいところ?とかには目指され、国?国です?本当に政治が難しい…、全然知識が無くって…。
あぁ、衆議院とか参議院とか目指してらっしゃいますか?
大きい小さいでいうと京都市長を今回目指していたので、ある意味大きいものを目指してたんですけどなれなかったもんで、「じゃあ衆議院か参議院か?」とかって話はよくありますけども僕自身は地方ありきで仕事をしたいなという。
でやっぱり京都に対しての思い入れがめちゃくちゃ強いんですよ僕は。たぶん他の人に比べて人一倍やっぱり京都市、特に京都市なんでしょうねやっぱり。この京都に対する思い入れが強いし。
するとちゃんとやりたいし、「地方がちゃんとできてへんのに国行ってじゃあ何ができんの?」っていう思いも僕はあるし、もっともっとね京都でできること一杯あると思うんですよ。だから「もっと一杯やりたいな」という思いでずっと京都市をやり続けたいなという気持でおりますけどね。
東京が今首都じゃないですか。私もずっと京都に生まれ育ってきて、京都が大好きで、東京が首都だけど京都のほうが色々歴史あるし、「京都のほうが首都でもいいじゃん」と思うところとかもあるんですけど。
未だにだから京都市議会なんかでも一部で、「天皇陛下を京都に帰って来てもらって首都は京都にしようよ」と、東京は経済の中心でいいと。
アメリカなんてのはワシントンとニューヨークつって、経済と政治が分かれてるんですよね。ワシントンが政治の首都なんです。経済はニューヨークです。
だから「日本もそういう分け方をしてもいいんじゃ無いの」と。特に京都の場合は天皇陛下が向うに、御行幸に行かれて帰って来てないっていうような状態もあるので。そういう考え方も当然あるでしょうし、それ以上に色んなものを京都から発信していける特異な町やと、京都は。首都は東京やけど京都はそれ以上に凄いものを一杯発信してるし。
だから京都議定書なんていうのは世界に名だたる日本の誇るものですし、そういうものを次から次へと発信していければ別に、首都が東京やからつったって京都でできることって一杯あると思うんですよね。
京都から大きなものに目を向けていって発信できるものになったらいいなって思いますね。
ではここでミュージックブレイク。音楽をお聴きください。
村山祥栄さん、最後にメッセージをお願いしたいのですが、お願いします。
元々宇津崎さんとこにお邪魔してのご縁でこうしてやらして頂いているんですけども、ずっと住育ということでやっておられるんですが、僕はさっき京都でずっと話になってた「京都から何を発信するか」っていう色んな話をしてるんですが、僕は全て行き着くところは全て人だと思っていて。
実は私は元々市会議員をやってるときに京都市の職員の人事の問題なんかを実はずっとやってて、それをずっとやってたら不祥事にぶつかってしまって、なんかあんな大問題になっちゃったんですけども、それは本意では無くてやっぱりどうしたら人がモチベーション高く頑張れるかみたいな、後は元気に健やかにやれるかっていう、これが全ての源やというふうに僕は思っていて、だから「京都の職員がどんだけ京都の為に一生懸命頑張れんねん」って、これが僕の最大の政治テーマなんですよ。
それと同じように家庭家庭でも「皆どうして元気に過ごしていけるか」ってことをやっぱり考えながら皆やったはると思うんですけど、ただそれがどれだけ重要な事かっていうことを、僕は是非皆さん考えてもらえると嬉しいなと思っていて。
特に僕青少年の育成であるとか、教育の問題であるとか、これは例えば地元のお年より対象のボランティアをずっと僕も一緒に手伝ってやっていきたいから、子供達に触れて色んなことをやる中で子育て支援事業なんていうのを新しく京都で立ち上げたり色んなことを私やってきたんで、今回市長選挙をやらして頂く中でありとあらゆる色んな声を聞いて「やっぱり結局帰って行くところって家庭だよね」っていう。
この家庭力っていうんですか?この「家庭教育をどうすんねん」っていう、それは食育もそうだし、純粋な道徳教育もそうだし、凄い一杯あるわけですけど、その中の「住まいっていうキーワードは凄い大事ですよね」っていうことをもう一辺認識してもらって、皆「環境の良いところに暮らしたい」って良く言うんですよ。
確かに環境が大事だってことは皆気づいているんだけれども、でも実はお家の中までそれは気づいて無い。家の周りに公園があって川が流れてたらこれが環境やったいう捉えかたで、もうひとつ視点を変えてもっと細かいとこまで落とし込んでいけたら、もっといい家庭教育ってできるんだろうなっていうふうに僕は凄い感じてます。
だから私は「京都市」というキーワードを通じて色んな形で人というものを「どう元気にしていくねん」「どうまちを活性化していくねん」「組織を元気にしていくねん」っていう、もうここに僕の思いは集約されますし、「これからも京都市の為にひたすら汗をかき続けていきたい」という思いで僕もやりたいというふうに思っていますので、宇津崎さんにしても是非京都からどんどんと住育を広げていただいて、又お聴きの皆様にも御一人一人が「何ができるんだ」ということを考えていただいて日々お過ごしいただけたら「何より京都にとっては良いことなのかな」というふうに思っています。
こんな感じで宜しいでしょうか。(笑)
ありがとうございます。
ありがとうございます。
だけど住まいが大事っていうことをこれだけ理解してもらえるってのは嬉しいですよね。しかも市会議員のときに子供達、青少年の問題やとか、教育の問題とか、子育て支援の問題とか、それを又市長選で色んな生の声を体で受け止めてくれてるんで絶対いい形にしてくれると思いますよね。
なんか年齢を訊いたら30歳。
お若い。
羨ましいですよね。丁度半分ですよ。(笑)
京都から本当に色んなことを発信すること、人が大事、どうしたら京都市が、京都市の職員の皆が、又住んでる人が元気で健やかに暮らせるか、それを頭に入れて頑張って活躍してくれるこんな若い青年がいたっていうことを、今日はゲストに来てもらってスポットあてられて良かったよね。
はい。私も本当に政治のことについても少しずつ意識を持って、併せて住育のことに関しても本当に自分で意識を持っていかないといけないなって思いました。村山さん本当に住育の為にもこれからも頑張ってください。
ありがとうございます。頑張りますんで又よろしくお願いします。
若い人が本当にこういう興味を持ってくれて、ホームページを見たり、やっぱり応援してほしいですね。
あっ、ひとつ忘れてたけど尊敬する人訊きたいよね。
尊敬する人は両親と高杉晋作という。
凄いですよね。両親を尊敬するって少ないんですよね、今周りを見てても。
ただ私の場合、人の10倍ぐらい親に苦労かけてきてるんですよ。だからよおこんな無茶苦茶な子供を育ててくれたなという。でもやっぱり気ですね。
だけどそれをちゃんと形を変えて京都市の為に、市民が又職員が皆が元気に健やかになる京都を目指して活躍してくれると思います。
はい。頑張ってください。
ありがとうございます。
ではそろそろ終りの時間になりました。今日はお忙しい中ありがとうございました。
ありがとうございました。
ではこのへんでさようなら。
2002年9月30日リクルート社退職。事務所と呼べるような代物ではない築年不明の貸家。そして、思い切って発注した10万枚の名刺とビラ。そして、あちこちから分けてもらった事務所備品達。それだけ。人は一人もいない。
身内の反対を押し切り「誰かがやらなければならない」というある種の使命感だけで再び故郷左京に帰ってきた。こんな選挙がしたいイメージだけで、何も無い。はっきり言って不安。すでに、新人候補も含め活動が活発化している中のスタート。何から手を付ければいいのか、焦りばかりが募る。
毎朝、駅に立ってとにかく思いを有権者にぶつけ続ける。人は蔑む眼で目の前を通り過ぎる。「何してんだ?あれ」目線をあわす人もいない。
昼は、雨が降ろうが槍が降ろうが、あいさつ回りの日々。一日、多い日で300件近く回る。何処へ行っても、「誰?」「うちは結構です」怒鳴られるばかりで話が進まない。話が出来ても「若造の癖に」「受かるわけが無いだろ」…空虚。空回り?やはり思いは届かないのか?
そんなとき、同級生の友人が川西市でトップ当選を果たす。「京都だけがその流れに取り残されてはいけない。あきらめたら終い。しゃあないゆうてたら始まらんやん。」それだけが、自分のモチベーションだった。
そんな活動を続ける中、少しずつ振り向いてくれる人間が出てきた。最初は友人であり、学生さんだった。ひとり、ふたり、年末には、常時誰かが事務所に来てくれている状況が出来る。大学時代の東京の仲間も泊まりこみで来てくれた。お陰で街中にポスターを貼ることができた。一緒にビラ配りに出かけ、戻ったときは朝になっていたり。私の掛け替えの無い仲間は将に、昼夜問わず、突っ走ってくれた。
あるときは、「話が聞きたい」と学生が現れ、帰りには「何か手伝えないでしょうか」とボランティアになってくれた。あるときは、見知らぬ学生が「使ってくれ」と1000円のカンパを持ってきてくれることもあった。純粋であるがゆえの重み、これは今でも重く肩に圧し掛かり、決して彼らを裏切りことは出来ないと感じる原点になっている。
そして迎えた事務所開き。ちょうど投票日1ヶ月をきったところ。すでにボランティアは毎日10人を数え、選挙事務所は地元の方に無償で提供頂いたもの。見たことも無いほど多くの方々が集まってきて下さった。他の候補から見れば、吹けば飛ぶような数だったと思う。しかし、私にとってはそれで十分だった。決意表明の場で、初めて涙腺が潤んだ。ここまで辿り着けたことが何より嬉しかった。
残すところ一ヶ月を切り、改めて突っ走るしかない、そう心に決めて選挙を向かえた。
選挙が告示された。
溜まりに溜まっていた思いは、爆発する。後先を考えず、所構わず叫んだ。初日に声は枯れ、フィニッシュコーワ(うがい薬)が一日で無くなる。歩き続け、気がつくと、足の筋が切れていた。足の裏はマメが何度も破れ、見るも無残な姿になる。手は赤く腫れ上がり、段々握力が無くなっていく。残りあと何日、それだけを数え、街頭に立ち続ける。
朝は6時30分頃から駅に立ち、晩は11時ごろまで駅に立つ。よく周りの仲間が、根を上げず付き合ってくれたと本当に感謝する。そして、私自身、走り続けられたのは、将に皆様の「頑張れ」の一言に尽きる。
そして、投票の朝を迎えた。
天気は芳しくない。投票率は軒並み低下。浮動票頼りと言われたうちの陣営の顔は冴えない。「厳しいな」「お疲れさん」「結果はどうあれ、ようやったよ」そんな電話が私の携帯に入る。また、私の周りの人間はどうも選挙に行ったことがない人間が多いらしい。昼には「結果どうだった?」などという電話まで入る。
そして迎えた開票速報。
私は家で一人でそれを待っていた。0時の開票速報で当確が出た。私は事務所へ歩いて向かった。結果は12人中8番目。下から2番目の当選。
お陰さまで、市民の市民による既存への挑戦は、無事勝利を収めることが出来た。そして、ここからまた新たなスタートが始まった。
候補者氏名 | 当落 | 年齢 | 党派 | 現元新 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
青木 善男 | 当 | 78 | 自 | 現 | 6712 |
加藤 あい | 当 | 27 | 共 | 新 | 6625 |
柴田 章喜 | 当 | 53 | 公 | 現 | 6420 |
隠塚 功 | 当 | 39 | 民 | 新 | 5936 |
山本 正志 | 当 | 56 | 共 | 現 | 5461 |
鈴木 正穂 | 当 | 54 | 民 | 現 | 5384 |
巻野 渡 | 当 | 53 | 自 | 現 | 5113 |
村山 祥栄 | 当 | 25 | 無 | 新 | 5004 |
樋口 英明 | 当 | 33 | 共 | 新 | 4775 |
大西 均 | 落 | 53 | 自 | 現 | 4139 |
中村 十一 | 落 | 46 | 無 | 現 | 3760 |
小川 真三 | 落 | 53 | 無 | 新 | 951 |
2003/01/08 京都新聞地方新世紀 第5部 問われる議会(7)
「人任せでは何も変わらない。若者の力で政治家を生みだそう。」
冷たい雨が降る昨年12月21日。4月の京都市議会選に、左京区から無所属で立候補する男性(25)は、京都教育文化センターに集まった大学生ら60人にこう話しかけた。
大学時代に衆議院秘書や選挙スタッフを務めた経験はあるが、昨年10月までは民間企業の会社員。仕事も楽しく、会社の雰囲気も良かった。
両親の猛烈な反対を押し切り、退職。いまは選挙一色の生活だ。事務所の壁には大きな紙を張り、あいさつ回りや街頭宣伝の予定をびっしりと書き込んだ。事務所には、ボランティアの若者が交代で詰める。
選挙活動の資金は、会社員時代の貯金だけで、後援組織もない。知人のツテを頼ってあいさつに行った先では、「何の用だ」「迷惑だ」と理不尽にののしられ、住民の政治への視線の厳しさ、冷たさを実感した。「若者には未来への責任がある。保育施設の充実や市の財政改革など、次世代にツケを残さないようにしたい。」
2003/03/09 朝日新聞京 選択 03統一地方選 京都市議選
4月4日に告示される京都市議選で、政党からの推薦などを受けない「無党派」の人たちの立候補表明が相次いでいる。前回選挙で政党の推薦を受けなかった候補者は2人だったが、今回は離党組みも含めると10人前後になりそうだ。
昨年10月に民間会社を退職、立候補することを決めた男性(25)は学生時代、ある政党の代議士秘書の経験がある。だが、政党から立候補する気にはならなかった。「政党自体を否定しないが、国民の信頼に応える政治が今の政党にはできていない。そんな政党に振り回されたくない」と言う。
活動資金はサラリーマン生活でためた金とカンパが頼りだ。「政党に頼らない若者が立候補するにはまだまだハードルは高い」と話す。
2003/04/14 京都新聞1面トップ
「お金をかけない政治」私の最初のお約束でした。
資金が不透明といわれるこの業界において、皆様がおっしゃる事は「選挙って金かかるんやろ」「何千万いるねん」…。政治家の皆さんは、とにかく「クリーンな政治を!」と言われますが、どこがどうクリーンなんでしょうか?納得がいかない。
まずは、すべての資金を公開し、少しでもわかり易くしたい、だから公開する。そして、皆様から頂いたカンパを一円も無駄にすることなく使います。それが、無謀とも言われた選挙事務所の台所事情公開のきっかけです。
これは、さらに踏み込んだ内容だったと思います。
選挙後の公開はやろうと思えば出来ます。最悪収支が合わなくても帳尻をあわす事ができます。それじゃ、駄目なんです。そんなことが出来ない、選挙中にこそ、ダイレクトに、リアルタイムの金額を出すことが、重要であると考えました。
事務所サイドはあまりに事務作業が煩雑化する為、ボランティアの学生にはご迷惑をお掛けしました。皆様から頂いたカンパ額と毎日の支出。毎日、金額を更新し、公開ボードを事務所と宣伝カーに取り付け、選挙活動をいたしました。
そう叫び続けた選挙戦。
「私は、今出来ることを全力でします。本日の選挙資金の公開は○○円です。」
少しでも、関心を持って頂ければ、不透明と言われる選挙資金をわかり易く出来れば…。そんな思いで訴え続けました。
わざわざ遠方から見に来て頂いた方もいらっしゃいました。
この収支報告は、選挙管理委員会に提出したものを簡易にまとめたものです。
供託金返却金、カンパ残高を用いて収支報告ビラを発行・郵送いたしました。
尚、差額 6,623 円につきましては、後援会繰越残金とさせて頂きます。
以上をもちまして、このたび頂戴したカンパ全額の使途をご報告を申し上げます。これからも、お金のかからないクリーンな政治の実現に向け、活動を続けて参ります。政治資金カンパは引き続き行います。何卒、政治浄化にご協力ください。
※なお、企業献金は一切受け付けておりません。
お申し出頂ければ取りに伺います。
長い選挙戦が終わりました。様々な風評が飛び交う中、ただただ愚直にまっすぐに4年間取り組んできた思いと、ひたすら「明日の京都の為に」と訴え続けてきました。
既存組織に頼らない草の根型選挙が何処まで通用するか、ご支援を頂いた方々からお手からお手へと「思い」を伝えご理解を求めた戦いだったと思っています。
4年間、無茶、無理、と言われながらも、「あかんもんはあかん。」と一生懸命やってきました。しかし、この選挙で負ければ、世間は「やっぱり大きな組織にいないと当選もできないじゃないか」「一人じゃ所詮…」と言われるだろうと思いました。だからこそ、負ける訳にいかない、そう言い聞かせてやってきました。
お陰様で前回を大きく上回る8,851票を賜ることが出来ましたことは、歓喜の念に堪えません。
同時に明日につながる今まで以上の期待という大きなプレッシャーを背負い、市会議員村山祥栄第2幕を開演して参りたいと思います。
お世話になったすべての皆様に感謝し、今回の選挙資金の全面公開を無事行えたことを付記しておきます。
候補者氏名 | 当 | 年齢 | 党派 | 現元新 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
村山 祥栄 | 当 | 29 | 無 | 現(1) | 8,851 |
加藤 あい | 当 | 31 | 共 | 現(1) | 6,070 |
隠塚 功 | 当 | 43 | 民 | 現(1) | 5,929 |
柴田 章喜 | 当 | 57 | 公 | 現(3) | 5,639 |
青木 克之 | 当 | 63 | 自 | 新 | 4,752 |
大西 均 | 当 | 56 | 自 | 元(3) | 4,669 |
樋口 英明 | 当 | 37 | 共 | 現(1) | 4,626 |
冨樫 豊 | 当 | 32 | 共 | 新 | 4,096 |
巻野 渡 | 当 | 57 | 自 | 現(4) | 3,742 |
鈴木 正穂 | 落 | 58 | 民 | 現(5) | 3,704 |
島内 研 | 落 | 25 | 民 | 新 | 2,770 |
佐藤 大 | 落 | 27 | 社 | 新 | 2,388 |
中村 十一 | 落 | 50 | 無 | 元(2) | 1,611 |
吉田 健一 | 落 | 34 | 無 | 新 | 1,217 |
小川 真三 | 落 | 56 | 諸 | 新 | 1,168 |
この収支報告は、選挙管理委員会に提出したものを実質収支に修正し簡易にまとめたものです。
「少しでも分かり易く、口だけのクリーンではなく、全てをさらすことで始まる」との思いで前回始めた選挙資金のリアルタイムな全面公開。毎日更新される公開ボードを持ち今回の選挙戦も闘いました。最終確定版が出来上がりましたのでご報告申し上げます。
今回の収支報告ビラは、このカンパ残高を用いて発行・発送致しました。
供託金の返還金および残金はこのたびの収支報告を行う費用に充てさせて頂きました。
以上をもちまして、このたび頂戴したカンパ全額の使途をご報告を申し上げます。
これからも、お金のかからないクリーンな政治の実現に向け、活動を続けて参ります。政治資金カンパは引き続き行います。何卒、政治浄化にご協力ください。
※なお、企業献金は一切受け付けておりません。
お申し出頂ければ取りに伺います。
本市長選挙に対する市民の声は、圧倒的に「不祥事続きの市役所内部からの候補」でなく、「市役所外部の改革を断行できる候補」でありました。然しながら、与党各党を中心に出した結果は「市役所内部からの候補」でありました。
同時に、本選挙に市民が望んだ事は、3極を基本とする政策論争の出来る、実質的に選択肢のある選挙でした。然しながら、この民意も果たされる事はございませんでした。
市民の声を反映させねばならない選挙と言う最も重要な舞台で取られた今回の候補者選定は、まさに民意なき選挙を市民に押しつけているに他なりません。
民意なき選挙は選挙にあらず。民意なき選挙は、正義なき選挙であります。
「あかんもんはあかん」
政治は市民が作るものです。京都市民にとって望まれない、正義なき選挙を放置してはなりません。私は、どんな組織よりもどんな権力者よりも、市民が強いことを知っています。市民の力が社会を動かせることを知っています。
市民不在の市長選挙を、市民の手で市民による市民の為の選挙を取り戻そうではありませんか。仕方がないと諦める前に、声をあげようではありませんか。
この国が民主主義であることを、政治に市民の声が届くことを日本中に発信しようではありませんか。私は、その為にここにいます。民意を背に受け、一身を賭して、この選挙を京都市民の手に取り戻し、市民の求める明日の京都市を標榜し、その為に邁進する決意であります。
今、京都市長に求められている事は従来の「世界の京都としての顔」ではありません。
今、京都市に求められている事はかつての「安定の上にたった発展」ではありません。
世界の京都である前に、市民の為の京都でなくてなりません。
閉塞感に包まれた京都にとって、長年に渡り蓄積された借金をはじめとする様々なツケ、膿を清算することが、最も重要な課題であります。「京都市民の為の京都」という大命題が果たされて始めて、世界の京都であり、安定の上にたった発展が可能なのであります。
溜まりに溜まった負の遺産を清算し、風通しの悪い、疲弊しきった市役所という組織の解体と新たな創造は、市役所内部からの候補者に出来る所業ではありません。役人の果たしうる課題でもありません。これこそが、命をかけた政治家にしかできぬ仕事であります。
私は、5年の議員活動を通じ、遮二無二、明日の為の、市民の為の京都の実現に現場から問題を捉えて参りました。無所属と言う不偏不党、是々非々での議会活動を通じ、誰よりも多くのタブーに果敢に取り組んで参りました。いかに返り血を浴びようとも、矢が降ってこようとも、京都の為に命を賭して闘って参りたいという覚悟であり、この一点について言えば、しがらみなき私にしかできぬ、私がやらねばならない最大の課題だと考えております。
私は、若輩の身です。必ずしも世界の京都の顔に相応しい人物であるかどうかも不明です。ただ、今必要な事は、世界の京都である前に、市民の為の京都を取り戻すことであります。改革をこれ以上遅らせるわけには参りません。今すぐ実行せねばなりません。それこそが今回、私が起つ意義だと自負しております。
今こそ、堂々と声をあげましょう。あかんもんはあかんと。
今回、多くの与党会派の同僚・先輩議員から随分とここに至る選定の過程において異論もあったと聞いております。それは、ひとえに民意なき選挙という選択を市民にさせてはならないという正義の声だったと理解しております。そういった声が各党、各会派の中に多くあったことは、京都市に残された希望であり市民の声を代弁する先輩同僚諸氏の良識だと理解しております。
民意なき選挙を、正義なき選挙を、力で抑えてはなりません。
市民の皆様の良識こそが京都の誇りであり、その誇りこそが明日を創造します。
誇り高き京都市民の皆様のご理解、ご賛同を賜り、ご支援ご協力を賜ります様、伏してお願い申し上げます。
信頼されない行政はもはや行政の役割を果たしていません。市民が本当に信頼し、頼れる存在であって始めて行政の意味があります。市民が役に立つ所だと感じることが出来て始めて市役所なのです。市民の信頼を失った今の京都市は、食品偽装によって消費者に見放された会社のようなものです。職員は、市民のために懸命に知恵を絞り、汗をかき、職員であることを誇りに思う。そして、市民の皆様にも、そんな京都市を誇りに感じて頂ける行政へ再生させることが、今、京都市に課せられた最大の急務であり、市役所の原点であります。
財政非常事態宣言が発せられて早6年。未だに非常事態は脱却されていません。お金なきところに政策実現はありません。財政危機は、都市機能を著しく低下させます。地方交付税が年々削減される中、財政破綻は夕張市だけの出来事ではありません。貧乏自治体から人が逃げる時代が既に到来しています。魅力ある都市づくりの前に、今為すべきことは、市民の皆さんをはじめとする京都市に眠る全ての財産を有効活用した行財政改革による財政の建て直しなのであります。
社会が混沌と混迷を極める最大の要因は、将来に対する不安が払拭できないことにあります。少子化は着実に国力を低下させ、経済不安を加速させ、年金をはじめとする社会保障制度を崩壊へ導きます。少子化に歯止めをかける子育て支援は30年後京都の為に、今為さねばならない最重要課題です。同時に、高齢化が進む中で、ご自身の将来に不安を感じず、寝込まず、生きがいを持って第二の人生を元気に暮らす、即ち「生活の質(QOL)」を維持し向上させる、また様々なフィールドで活躍し続けられる社会構築を今為さねばならないのです。
同和行政は京都市民にとって積年の課題です。終らない同和行政は、行政に対する市民の不信感を増大させ、さらには逆差別というあってはならない差別の温床と化しています。真の同和行政の完全終結を図ることが、行政における公平公正な税の再分配を実現し、不信感を払拭させ、逆差別を断ち切り、不当な差別を断ち切る唯一無二の方策です。名実ともに同和行政を終結させねばなりません。
行政は多くの人に支えられ、拡大を続ける中で多かれ少なかれしがらみを生み、それは、いずれ行政運営の大原則である公平・平等の原則を欠く原因と化していきます。しがらみは口利きや不当な要求を行政に突きつけ、一度決まった案件は補助金をはじめ、連綿と続いていきます。どこかでその根を断ち切り、不当な要求に NO を突きつけることが、今行政に求められています。
京都市政は、我々市民のもの。脱政党・脱組織!いまこそ、市民レベルで盛り上げよう!
対話による市政作り。3人寄れば有志の会!仲間を集めて有志の会を作って下さい。そして座談会を開いて下さい!数人からOKです。本人出向いてお話させて頂きます。難しいことは何もありません!どんどんお申込下さい。
我々市民の声を京都市政に。一言マニュフェスト大募集!私たちの声を京都市政へ!みんなで作ろうマニュフェスト!皆さんの声を事務所までお寄せ下さい。
市民レベルで市政改革。ボランティア大募集!ポスター貼り、お声かけ、ボランティアによる政治活動を実現しよう!参加頂ける方は、事務所までご連絡を。
村山祥栄のご支援の輪を広げる為、京都市御在住の方をご紹介ください。用紙にご記入頂きましたら郵送あるいは 712-9963 までファックスにてご返信頂きます様お願い申し上げます。
活動資金が足りません!100円カンパ大募集!一口100円のカンパにご協力下さい。口数は何口でも結構です。
カンパ振込先:郵便振替 00970-2-181324 村山祥栄政策フォーラム
2008年1月京都市会議員村山祥栄
マークは、市民の皆様からの一言マニフェストを参考に反映させて頂いたものです。
市職員の相次ぐ不祥事の発生に際し、昨年8月の臨時議会で示された「信頼回復と再生のための抜本的改革大綱」を早期に達成し、二度と不祥事をおこさない京都市運営を進めます。また、今回の職員の不祥事にあたって、京都市は、全国に先駆けて分限処分の実施を打ち出しましたが、これは、現行の公務員の身分保障における大きな弊害に先鞭をつけた好例であります。私は、勇気を持って、職員に対する信賞必罰を徹底し、勤務怠慢職員には分限免職に踏みきり、本当にまじめな職員の仕事が報われる職場づくりの先頭に立ちます。
京都市ではすでに全ての事務事業について事業評価を実施し、必要最低限の人員配置がなされていると言われてきましたが、その後に、私の再三の要望によって「まち美化事務所」の職員削減が示されました。このことは、未だに定員削減の余地が残っているということを示したものであり、今後も引き続き定員の見直しを行います。一方で、行政の仕事がますます専門特化してきている今日、他の政令都市が進めているように、専門職採用(例えば児童福祉司など)を導入します。小さな政府をつくっていくうえで、民間活力の導入は当然の流れであり、今後、事務事業(例えば支払い事務や旅費事務等)など様々な分野で、大胆にアウトソーシングを実施し、業務の効率化を進めます。一方で、団塊世代の大量退職などによって、専門知識や様々な経験を有した多くの有能な市民が、社会貢献の場を求めています。私は、こうした市民の力を積極的に市政に活用するつもりです。
財政再建を市政の最優先課題にしっかり位置付け、財政非常事態宣言下からの脱却を進めます。各種団体や事業への補助金制度については、その期限を付する、いわゆる「サンセット方式」を設けます。さらに、区役所については、業務・組織を抜本的に見直し、窓口のワンストップサービス化を図るとともに、区役所間で重複して行っている業務の集約化や民間委託化を推進することにより、一層の効率化を図ります。ごみ収集事業をはじめ様々な分野で、引き続き民間委託化を促進します。既得権益につながりやすい出資法人については、抜本的に組織の見直し、統廃合を進めます。そのほか、市民の叡智によって、新規財源の確保に向けた検討も始めます。
平成14年に終結したと宣言された同和行政は、現在も引き続き極めて不公正・不公平なかたちで続けられていたことが、私の調査で明らかになりました。隣保館事業から移行したコミュニティセンター事業では、一部の旧同和地区住民のためにボクシングジムとして占有されていました。また無料で利用できるため、一人一回あたり会議室使用に7500円の税金が使われていることを明らかにしました。このような旧同和地区住民のためだけに与えられた様々な特権が、市民の「逆差別」意識を助長してきたのです。今回こそ同和事業を完全に終結させなければなりません。
旧同和地区には手厚い行政サービスが残っているのに対して、一般の市民が受けられる行政サービスが乏しいのが京都市の実態です。私は、これまで同和事業に投じてきた税金を用いて、女性が安心して働け、子育てしやすい環境づくりを進めます。そのために、延長保育の拡充、待機児童ゼロに向けた取組みを進めます。また、児童手当の大幅拡充を国に要望します。さらに、全ての小学校区に学童保育の受け入れ環境を整備します。同時に、一時保育・24時間保育の拡充を進めるほか、新婚子育て向けの住宅支援制度の創設を検討します。働くお母さんが便利なよう、役所の窓口サービスの時間延長を図ります。さらに、児童虐待への対応力を増強します。
教育委員会出身の桝本市政は、その12年の間に、一定の成果をあげてきたように見えますが、実態は教育委員会事務局主導のトップダウン行政により、教育現場は翻弄され、都心部と周辺部で大きな「教育格差」が表面化しています。現場の地道な努力により、PFI事業や御所南小学校・西京中高一貫校、堀川高校など一部のめだつ施策に、大幅な資金の投入がなされ、ほかのところは予算の削減で悲鳴があがってきています。こうした教育委員会主導の行政を、引き続き継続させるかどうかの選択が問われているのが、今回の市長選挙の特徴でもあります。
また公私間格差も同様であります。私は、現場の先生方の声に十分耳を傾け、先生方の自主的な改善の取り組みを尊重した運営を行います。また、30人学級の普及にむけて取り組みを強化するとともに、退職教員や卒業生、社会人などを嘱託教員として活用し、各地域で土曜授業を復活させることを検討します。また、児童虐待対策として児童相談所に専門職を配置することや、虐待された児童をお預かりする一時保護所の増設など児童虐待対策の強化を図ります。
元気で生きがいを持って、はつらつとした第二の人生を過ごして頂くためのインフラ整備を重点的に行って参ります。高齢者や障がいのある方がご自宅で安心してお住まいになれるよう、民間アパートを高齢者向けの賃貸住宅として供給する高齢者向け賃貸住宅や、ご老人が安心してアパートを借りられる安心住宅制度を創設します。また、公共施設や駅・道路等のバリアフリー化を促進するとともに、改良地区にある施設を広く一般が活用できるようにした上で、「まちかどデイサービス拠点」などとして活用します。さらに、安心して高齢者介護サービスを受けられるよう福祉事業者の経営安定を支援します。
高齢化社会の進展や、地球温暖化防止のために、京都らしい「歩いて暮らせるまちづくり」を促進します。そのため、中途半端な取組みとなっている都市交通施策に関して「京都の都市交通ビジョン」を多くの市民や専門家の参加のもとに策定します。また、市バスや地下鉄の乗り換えの無料化など、公共交通機関の利用を促進するとともに、これまで邪魔者扱いされてきた自転車についても、重要な市民の足として積極的に位置づけ、必要な自転車駐輪場の整備を進めます。
また、新たに成立した新景観政策は、京都らしさを残していく上で大変、前向きな制度ですが、現実には、いくつかの課題を残しています。特に、景観条例の細則については、多くの関係者の合意を取りながら全面見直しを図ります。
地震に対する防災対策については、戦前の木造住宅が多く残る京都のまちの特徴から、一旦、大きな地震がおこったら、大規模な被害が生じます。このように特に遅れている住宅の耐震化については、耐震診断への補助や改修工事への補助制度を検討します。当然、学校や公共施設の耐震改修は促進していきます。また、こうしたまちづくりは、行政主導で進めるのではなく、市民の意見を聞きながら積極的に市民参加を得た上で進めていきます。
京都という都市の奥行きの深さが、現在に通じる先端産業を数多く生み出す基盤になっていると言っても過言ではありません。そうしたことを生かし、任天堂や京セラなど数多くの先端産業が育まれてきました。最近では、京都大学の山中教授らが、ヒトの皮膚細胞から、「万能細胞」を作ることに世界で初めて成功しましたが、今後、この再生医療の分野で大きな市場が生まれる可能性があり、京都をそうした知的産業の拠点にしていきます。
同時に、フットワークの軽い中小企業が産業の裾野を形成しているのが日本の強みと言われるように、中小企業の育成を支援する必要があります。
伝統産業の分野では、全国的に新たな「和ブーム」が到来しつつあります。この好機を生かし、生活の中に「和」を定着させる様々な取組みを展開します。温故創新をキーワードに、新たな京文化の構築と発信を進めて参ります。
また、観光客5000万人構想の下、加えて経済波及効果がより一層実感できるような取り組みを進めて参ります。
食の安全に対する関心が一層高まっていますが、京の伝統野菜など、「京都ブランド」の普及と商品開発の振興に力を入れます。
この京都の地で1997年12月に開かれた「気候変動枠組条約第3回締結国会議(COP3)」で取り決められた京都議定書は、いよいよ、今年より拘束期間に入ります。にもかかわらず、わが国の二酸化炭素排出量は、増加傾向にあります。京都は、議定書締結の都市として、全国のモデルとなるような取組みが必要です。そのため、バイオディーゼルの推進のほか、自動車の都心への乗り入れ規制、ロードプライシングなどについても検討します。さらに太陽光発電やバイオマスなどの自然エネルギーの活用を普及します。
また、熱帯夜が増える今日、ヒートアイランド対策の強化も必要です。そのため、鴨川などの「風の道」の形成や、河川の浄化のほか、林業振興や里山保全、公園・緑地の整備、市街地の緑化など、様々な対策を講じます。
行政区 | かどかわ 大作 | 岡田 としひこ | 村山 しょうえい | 中村 和雄 |
---|---|---|---|---|
北区 | 13,332 | 1,874 | 7,042 | 14,485 |
上京区 | 10,238 | 1,632 | 5,402 | 10,066 |
左京区 | 15,357 | 2,563 | 18,490 | 18,411 |
中京区 | 12,209 | 1,972 | 6,362 | 11,633 |
東山区 | 5,453 | 735 | 2,431 | 4,391 |
山科区 | 15,285 | 2,012 | 6,121 | 13,665 |
下京区 | 8,579 | 1,496 | 4,289 | 8,115 |
南区 | 10,060 | 1,445 | 4,097 | 11,023 |
右京区 | 21,612 | 3,247 | 10,153 | 22,219 |
西京区 | 16,101 | 2,820 | 7,757 | 15,660 |
伏見区 | 30,246 | 4,906 | 12,606 | 27,853 |
京都市計 | 158,472 | 24,702 | 84,750 | 157,521 |
選挙ドキドキ初体験プロジェクト さんが企画・実施された逆マニフェスト企画の回答原文です。
尚回答フォーマットを頂戴いたしましたのが回答提出日であったため、下記の様な書式で提出いたしました。
今、同和事業の実態は誰もわからない。
わからないからあること無いこと、全てが批判の対象となっている。
批判の声は消えない。
でも行政は終ったと主張する。
だとすれば、真実を究明し、その実態を世に問いたい。
実態を市民の皆さん、お一人お一人に知って頂き、一緒に同和問題の解決の道を模索したい。そんな思いです。同時に、同和行政は、議会の再三再四に渡る決議を経ても、完全終結には至りませんでした。もはや、議会の外圧では解決出来ないと感じました。だからこそ、世に問い、皆様の声を頼りに解決する道を探りたいと願っています。
今回、講談社より「提出された報告書を出版したい」との申し出があり、このたび出版に至りました。「つぶや記」や「掲示板」には書けなかった全てを詰め込んで。
是非ともご高覧頂きたいと思います。
京都新聞2007年12月21日金曜日同和行政問題「大きな争点」
京都市議が著書出版
村山祥栄京都市議(無所属、左京区選出)が20日、著書「京都・同和『裏』行政」を出版した。来年2月の京都市長選で同和行政を「大きな争点にすべき」と主張している。
市議として行った調査などを踏まえ、市職員の不祥事や市の同和対策事業を取り上げ「終結したはずの事業が終わっておらず、逆差別を生んでいる」と指摘している。
同市議は「人権尊重の社会を築くには同和問題の本質を多くの市民が知る必要がある」と訴えている。
朝日新聞2007年12月21日金曜日「同和行政争点」村山市議訴える
著書出版で会見
京都市議の村山祥栄氏(無所属)は20日、自著の出版に際して市役所で記者会見し、「同和行政を市長選の争点として取り上げ、みんなに考えてもらいたい」と述べた。
同和行政の完全終結を求めた市議会決議の後も依然として終結していないとし、「市議の間でも温度差があり、踏み込んでいない。市議では限界があり、市長の決断が必要だ」と強調した。
村山氏は今年10月、同和施策の一環で建てられた市営住宅で建設会社の看板を掲げた部屋があるなどと指摘し、「同和事業は完全終結させるべきだ」との要望書を市に提出。市は市営住宅を住居以外の目的で利用している事例の調査に乗り出した。村山氏はこれまでの独自の調査をもとに「京都・同和『裏』行政 現役市会議員が見た『虚構』と『真実』」(講談社)を出版した。
講談社終わったはずの「同和事業」に隠された深き闇
逆差別の「現場」発タブーなき再生論!
続発する市職員不祥事と迷走する同和行政。解放運動の総本山で今、何が起きているのか
この実態を、あるがまま市民のみなさんにも見てもらったほうが手っ取り早いと、某局のテレビクルーを連れてまち美化事務所へ乗り込んだ。「議員調査権」を振りかざし、職員が勤務時間中に2階の休憩室でゲームに興じている姿を含め、問題ある実態をしっかりテレビカメラに収めようと、アポなしで事務所の裏口から突入した。「なんの権限で入ってきたんや」「議員調査権や。そこ、どいてんかっ」「そんなもん聞いてへんわい。こら、待たんかい!」結局、多勢に無勢。囲まれて事務室に連れて行かれた。「こんなやつ、殺したったらええねん」「こいつらか!? 勝手に入ってきやがったんは」「義を見てせざるは勇なきなり」である。ひどすぎる実態を知った以上、追及を止めるわけにはいかなかった。
地域政党は国政の踏み台とちゃうで!!!
ということで、5年ぶりに拙著「地域政党」が発刊されます。維新、減税、大地、地域政党って一体何なの?地域政党は何がしたいの?わかるようで分からない地域政党。全てがここに詰まっている!日本初の地域政党本!
「なぜ堀場さんが京都党の顧問なの?」堀場製作所創業者 堀場雅夫氏対談収録皆さん是非ご高覧お願いします。
書店、ネットにて好評発売中。事務所ではサイン入り本をご購入頂けます。
京都党代表である村山祥栄が、制度疲労を起こした中央集権からの脱却と地域主権(地方分権)の重要性を説き、地域政党から日本を変えていく提言する。
堀場製作所創業者であり、京都党最高顧問の堀場雅夫氏との対談を収録。
村山しょうえいの動画をご覧いただけます。