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スペシャル企画「くりやま雅史と語ろう」

  1. 京都市議会の選挙事情について
  2. 政治活動と議会活動について
  3. 村山祥栄議員の若き時代
  4. 若者の政治参加について
  5. 地元に対する思い、政治家の資質
  6. 政治スタンス

4.若者の政治参加について

K:若者の政治参加についてお聞きします。まさに村山議員は、若い時から政治に参加されていて、若者の中では非常にレアな人材だと、自分でも認識してらっしゃると思うのですが、政治に参加しているとは思えない人が割合として多い中で、今後若者には積極的に政治参加して欲しいと思いますか?

S:そりゃ政治参加して欲しいですね。

K:どうしてですか?

S:理由はありませんね。当然のことですから。

K:我々は若者に政治参加を促す運動をいろいろやってきましたが、若者の政治参加率、つまり若年層の投票率の低さの理由についてはどう思いますか?昔と比べて時代の変化とかをどう感じますか?

S:1つは政治に参加することに若者が価値を見出していないのでしょう。社会が安定しているし、別に政治に参加しなくても明日の飯がないということはない。反面、当然ではありますが、発展途上国というのはすごい投票率が高いですよね。年齢を問わず、みんなが政治参加意識に燃えている。自分たちで変えるという意識をもっている。日本はそんな意識もないですし、誰がやっても一緒と思いこんでいる。それは仕方ないのかも知れません。

K:確かに、文化・商業の発達度合いが高い国ほど、政治への参加意識は下がっていく傾向が多いわけですけど、日本のように意識が下がっていくなかで、村山事務所では学生部というものがあったり、あるいは私も受入れている議員インターンシップというものがあったり、少しではあるが政治参加している若者が増えてきたのかなという実感はありますね。

S:私もあります。

K:それはすごく嬉しいことですけど、まだやはり物足りないと思いますか?

S:全然物足りない。ほんまに民主主義の看板を掲げるなら、民が主なのだから参加してしかるべきですし、何で政治に参加しないといけないのとかではなく、そういう制度を布いている以上、当たり前のことです。

K:政治の原点、つまり始まりとは、「人が安心して暮らしていく、生きていく」ことではないかと思います。つまり、安心して暮らせる環境・文化が成熟していない国では、まず政治をしなければ何も始まらないわけです。今の日本に、政治の原点を意識させる必要はあるのでしょうか。できるのでしょうかね。多くの人間の政治参加は必要なことと当然思うわけですが、日本国民を政治参加させるには、文化を後退させなければならないのではないか、と極端ですがたまに思うんです。後退させることによって、自分達の生活に不快な変化が現れてこないと政治に関心を持たないと思うのです。

S:民主主義は長期化すると、衆愚政治に陥る。今は衆愚政治の真骨頂みたいな時期かも知れない。政治に対して参加する必要よりも不信感のほうが強く、参加して何になるのかと思っている国民が多い。不信感については、国民みんなが同時に改める必要があるし、後は政治家の姿勢の問題ですね。議員としての仕事をちゃんとやっている人には、周囲は「ちゃんとやってる」、「俺らの意見を代弁している」と認めてくれる。だから我々は見られていることを意識して、すごい小さいことからでも伝えていくしかないと思っています。

対談中の栗山議員

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