スペシャル企画「くりやま雅史と語ろう」
- 京都市議会の選挙事情について
- 政治活動と議会活動について
- 村山祥栄議員の若き時代
- 若者の政治参加について
- 地元に対する思い、政治家の資質
- 政治スタンス
3.村山祥栄議員の若き時代
K:今日も多くの学生さん(村山祥栄事務所学生部)がいらっしゃるんですが、村山議員は学生時代どんな活動をされていたのですか?確か出身は東京の専修大学でしたよね?
S:学校にいかずに、選挙、選挙、選挙でした。
K:松沢知事(神奈川県)の所でですか?
S:松沢さんの所は1年くらいしか行ってなくて、残りの3年はいろんな議員についたりしていました。自由党が出来た時の立ち上げも、東京の本部で一緒に関わらせてもらったりしました。
K:そのころは何歳でしたか?
S:20歳くらいだったと思います。自由党の学生部は、僕と僕の友達2〜3人で立ち上げたんです。
K:党の立ち上げという大変貴重な機会に関われたんですね。党の立ち上げの後はどういう活動をされていましたか?
S:僕は色々な議員さんにずっとついていたんですが、議員さんは何か理想と現実のギャップにぶつかって、結局現実ありきの所で政治をやっていて、理想を追い続けられていないことに、すごく嫌気がさしていた。その頃出会ったのが20代で当選した若手議員、このような方々が当時全国で120人くらいいらっしゃいました。平成7年の統一地方選挙で当選した方々ですね。この人達は黙々と、一心不乱に自分の思いを貫いてやっておられて、この人達が10年先、日本を変えてくれるのではないかと思って、そのうちそっちの方にシフトして活動していましたね。
K:それらの活動ですが、誰に頼まれたりするのですか?
S:誰とかはハッキリと覚えていませんが、「明日村山君、山口行ってきて」って、人間関係がどんどん広がると「俺の友達出るから頼むわ」みたいに言われるんです。「岩手いって来い」、「明日から住み込み」とか、そんなんばっかりでした。
K:そんなに選挙がおもしろかったのですか?
S:おもしろかったと言うより、政治家になるには選挙しかないので…。郵政民営化の時はまさにそうでしたけれど、学生時代にも選挙に負けるからという理由で自分の信念を曲げていった政治家をたくさんみてきました。政治家やるにしても、やっぱり根っこにあるのは選挙なんだと感じたし、だからこそ選挙というものを大事にせなあかんと感じて、参加し続けました。
K:酷な質問ですが、村山議員は信念を曲げてでも選挙に勝つ方を選ぶか、負けてもいいから信念を貫くほうか、どちらのタイプと言えますか?
S:なんとも言えないですね。負けても信念を通す政治家だと思っていますが、ただ極力そんなことは避けたいので、信念を通して勝てる政治家になることが一番大事なことだと思います。
K:それはある意味無所属のスタイルが、まさにそれを具現化しているように思うのですが?
S:そんないいもんじゃない。でも選挙はしんどいが、そこで負けてしまわないように頑張りたいです。
K:クラブやサークルとかはしていましたか?
S:何もしていないですね。
K:何も興味はなかったのですか?
S:ありましたけど、政治の方が楽しかった。1ヶ月間、稚内から鹿児島まで、党の全国遊説を党の車でやったり、補欠選挙の時とかは学生部がまるまる遊説を担当するとかもしました。選挙は経費や人件費が当然発生するので、これで賄えと指示されて目の前で300万円預かったり。これが湯水のように消えてしまう。そんな管理をさせてもらったり、それはそれでおもしろかったですね。
K:まさに政治家になるための経験ですよね。僕なんか全然畑違いなところから政治家やっているんだけれどもね。
S:僕は政治家になろうと思ったのが早かったんです。
K:何歳ですか?
S:15歳の時です。当時、今の政治家は命をかけてないということに怒りを覚えて、それやったらこいつらより俺がやったほうがマシやろうと思ったことからスタートしていました。政治家になるためには何をどうしたらそこにたどり着けるかということだけを考えていたんです。逆に言えばそれ以外何も知らないんです。
K:中学生の14〜15歳ぐらいの時というと、大きな政局の変化がありましたか?
S:当時は佐川急便事件があって、日本新党、新生党という2つの新たな党ができて、全国的に改革に沸いていた時代ですよね。
K:その時に、国会議員たちが自分の襟を正している姿を見ることができたんですね。そんな改革の波を感じたときに、その一員に加わりたいと思ったのですか?
S:分からない。しかし、僕は歴史が好きで、過去の歴史を紐解くと、命がけで民を守り、国民のために体を張って仕事をしてきた政治家がいることを知ったんですが、今の政治家の中にはそんな人が全然いない。そんな時、僕が夢を見させてもらったのが小沢一郎さんやったんです。自民党の幹事長になられて、おそらく総理大臣になれるのを蹴って外に出て行った姿は、すごく感銘を受けました。
