【京都市左京区市議会議員】京都党代表-村山祥栄のブログ-つぶや記

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March

14

2017

生前退位後のお住まい、京都なるか? ~今も続く皇室と京都の深い関係~

天皇陛下の生前退位が決まろうとしている。
にわかに京都移転案も急浮上する中、感慨深い思いで見守る人たちがいる。
京都の北東に位置する比叡山。その麓に、後醍醐天皇が延暦寺にお逃げになった際、籠を担ぎお守りした人たちの末裔が住む八瀬という地区がある。
ここに住む人々を代々、八瀬童子といい、長年天皇が移動するときに乗る籠を担ぎ、天皇陛下の側近として雑務に従事する與丁(よちょう)と呼ばれる職についてきた。明治元年に東京への行幸への従事はもちろん、先の大喪礼では葱花輦(そうかれん・輿)、即位礼の時には鳳輦(ほうれん)という輿を担ぐ大役も務めてきた。その歴史は古く、後醍醐天皇の比叡山逃避行をお守りしたところに始まり、長きに渡り陛下にお仕えした八瀬童子は国名を許され、地租課役(ちそかえき)と呼ばれる税や労働奉仕は永代にわたり免除されてきた。そうした特権は、実に平安時代から昭和20年まで続き、皇室との関わりは、現在も深く、行幸啓の出迎えに御所へ赴くと、陛下は旧知の八瀬童子に気軽にお声かけをされると言う。
昭和天皇崩御の際には、侍従長(じじゅちょう)より直々にかつて続いた先述の八瀬童子による與丁(よちょう)制度を復活させてはと打診があったが、遠く離れた東京でのご奉仕は事実上困難との判断から八瀬童子会は丁重にご辞退をしたようである。八瀬童子会の玉川勝太郎氏は「こうした伝統も京都であれば復活させることも可能です。」と答える。
また、京都の伝統産品のひとつである京菓子は日本菓子の草創(そうそう)だが、これも、皇室という王朝文化の中で育まれ、長年禁裏に献上され続けてきた。現在も、宮中行事のひとつである歌会始に使われる上菓子は、かつての禁裏御用達業者による京都の上菓子仲間が今も形を変え、京都より奉献されている。御題菓奉献使者は早朝八坂神社常盤殿でお祓いを受け、奉献菓を持って宮中へ参内(さんだい)、侍従長を通じて、その年の歌のお題をお菓子にした御題菓を両陛下へ献上され続けている。
このように京都の町衆と皇室はいまだ密な関係にあります。
公家屋敷跡が今も多く残る御所周辺だが、藤原道長をルーツに持つ公家の一門であり、冷泉流歌道、冷泉家時雨文庫を主宰する冷泉家も御所の北西に位置し、その姿を今に残している。

日本料理の真髄である京料理の原点は宮中で振る舞われた王宮料理、いわゆる有職料理(ゆうそくりょうり)であるように、宮中から京文化、ひいては日本文化は発展を遂げてきた。京料理伝統産業はいうに及ばず、一見宮中と何の関係もなさそうな京野菜ですら、宮中に献上するために、めずらしい野菜や種を栽培し、他はない品質の高い野菜を作り続けてきた結果である。
このように、宮中文化を軸にした日本文化の再興を考えれば、退位後のおすまいに京都は大切な選択肢のひとつと考えるべきである。